なぜ写真を上手に撮れるようになるためには数多くの写真を撮る必要があるのか
写真に限らず「数をこなす」という言葉はある。
どのようなことでも「数をこなす」事により上手になると言われる。
スポーツなどではよく聞く話だが、写真はどうなのかと考えていた。
銀塩カメラからデジカメになって、たくさんの写真を撮ってもデータとして残すのが容易になった。
さらにフィルムと違い現像のプロセスもなく写真を見ることが出来る。
そしてなによりかさばらないし、無駄を恐れて少なめに撮ろうという意識も薄れる。
そこが問題だと今まで思っていた。1枚の写真に対する思い入れまでも薄れてしまうのではないかと考えていた。
写真をたくさん撮ればそれでいいのかと常々疑問に思っていた。
はっきり言ってしまうと、無駄なのではないかと思っていた。
しかし、それは間違っていた。
土門拳さんの「写真随筆」にこんな事が書いてあった
ライカ二本七十二こま撮って、よしんばたった1こましかものにならなかったとしても、
あとの七十一こまはその一こまのなかに生きているのだ。そういうふうに考えるべきなのだ。
そういうことだった。
たくさん撮ったその写真は、決して無駄ではないのである。
そんな当たり前のことに気づけなかった自分が恥ずかしい。
やはり、数をこなさないと「いい写真」を撮ることが出来るようにはならないようだ。
しかし、未だにこの本が新品で買えるところがすごいと思う(初版は1979年)
写真随筆
土門 拳
ダヴィッド社
¥ 1,995 (定価)
¥ 1,995 (Amazon価格)
なし (Amazonポイント)
(私のおすすめ度)
(Amazonおすすめ度)
単行本
在庫あり。
(価格・在庫状況は6月11日 23:51現在)
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